2018年4月4日水曜日

三菱製紙中川工場専用線を回想する


先日の新金線旅客化構想の第1回目で触れましたが、金町駅にはかつて2003年3月まで三菱製紙中川工場の引き込み線がありました。
当時高校生だった私は廃止の一週間前にまだフィルムのカメラで撮影したものです。
工場へ回送中の花の木号
その廃線跡は金町駅構内にこそ側線やポイント、信号機がほとんど手つかずに残ってはいるものの、イトーヨーカドー付近から先は線路が撤去され、さらに道路から先は現在は遊歩道に整備された形で名残を残しておりますが、かつての工場跡地は東京理科大葛飾キャンパスとなってかつての面影は残っていません。
金町駅へ向かう貨物列車。
貨物列車はワム80000形とその改造形式である380000形がありましたが、その2種類のみでした。
金町からは先はEF81にけん引され、東北の三菱製紙八戸工場を往復していたことを筆者が知ったのは後々のことです。
中川工場の門扉 今の理科大正面入り口付近(2003年撮影)
この路線は非電化であり、工場と金町駅間は専用のディーゼル機関車がけん引する形でした。主に花の木号の愛称がつけられた機関車であり、また他の工場から転属したなにわ号も存在しました。
ブロックの色の違いが新旧を物語っている(2009年撮影)
こちらの画像は2009年撮影の廃線跡。
この時点で既に中川工場側の痕跡は完全に消失しており、第一種手動踏切のあった道路付近から金町駅までの空き地のみが廃線の痕跡となっていました。
かつての第4種踏切(末期は第1種化)跡から(2009年撮影)
このような形で長らく廃線跡は封鎖されていましたが、理科大キャンパス開校と並行する形で大部分が自転車道路に転用されました。
金町自動車教習所入口付近から金町駅方面を望む(2009年撮影)
ただし現在もヨーカドー付近及び駐車場付近の廃線跡は撤去後もほぼ同じ状態で放置されています。なので9年前の写真とは左右こそ道路の拡幅などが行われたものの、今も廃線跡は同じ状態です。
現役時代はわずかな距離に様々な踏切、23区内でも珍しい単線非電化や2軸貨車の貨物列車など多くの魅力的な要素を持って、筆者をはじめとする多くの鉄道マニアを楽しませてくれた三菱製紙中川工場専用線。廃止からちょうど15年が過ぎましたが、いつまでも語り継いでいきたいものです。
(4月15日追記)
自転車道となった今の専用線跡
現在はこのような姿となっています。
目の前はかつて第一種踏切の隣にあった最後まで遮断機がない踏切でした。
カーブを曲がった先が岩槻街道そして東京理科大
三菱製紙中川工場専用線の廃線跡の散策は金町駅から徒歩で往復30分もあればほぼ全てを見られる初心者向けの廃線です。
ちょっとした時間があれば見に来られてはいかがでしょうか。

1 件のコメント:

  1. 現在大学の課題でこの辺の敷地の歴史について調べていました。まさかいつも何気なく通ってた道に線路があったなんて!驚きました。このような情報を発信していただきありがとうございます。参考にさせていただきます!

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