2018年10月24日水曜日

大井川鉄道と国史跡諏訪原城

千頭駅にて3rd訪問時に撮影
鉄むす巡りを複数回こなしていると、一通りその路線の目玉を観光済みであったり、複数こなす移動時間の関係上あまり周辺スポットに立ち寄れないというケースも多々あったりすると思います。
そんな中で自分は、大井川鉄道を訪問した際に駅近くの徒歩で立ち寄れる場所として、始発駅である金谷駅から歩いて行ける国指定史跡諏訪原城を本日は紹介します。
また城に向かう途中には旧東海道の街道を復元した石畳もあるので、歴史に興味のある方はうってつけです。
諏訪原城の説明文 2014年撮影
東海道の石畳があるという時点で察しの良い方には想像がつくと思われますが、東海道沿いという重要な地点に築かれました。かつ三方が崖に面した台地という守るには適した地形を活かした山城です。
こちらの城が作られた目的はその先の現在の掛川市にある徳川方の難攻不落の山城として名高い高天神城を攻略するための前線拠点としてでした。
翌年天正2年には武田勝頼が高天神城を落としたことにより、武田が支配する駿河と高天神城を結ぶ中継拠点に役割を変えました。
しかし翌年の長篠・設楽原合戦で武田が大敗すると、徳川方は遠江で一斉に反攻を開始。
ここ諏訪原城も1ヶ月の攻防の末に徳川の手に落ちます。結果、今度は再び武田遠江最後の拠点となった高天神城を包囲するための拠点となりました。徳川時代は牧野城と呼ばれた城は一時期は今川氏真が城主になるなどしました(おんな城主直虎でも語れています)が、天正18年に廃城となりました。
現在は茶畑となった場所もありますが、結果的に城の縄張りはそのままになっていたことで遺構は現在に至るまでよく残っており、国の指定文化財になるほどの良好な城跡となっています。
空堀と土塁
城跡と言っても土塁や曲輪、空堀といった物が中心であり、櫓とか塀のような建築物の遺構は一切ないので城マニアとか戦国時代好きでないと物足りないかもしれませんが、訪れてみると実践的な城というのはこんな形状をしていたのかとわかりやすく体感できるので一度訪問されることをおすすめします。
因みに能登空港から穴水駅に向かう形で鉄むす巡りをする場合、山城である穴水城を時間的に訪問できますが、城の曲輪(簡単に例えると城の区割り)とかは詳しい人でないとわかりにくいので、この諏訪原城跡は基本的構造を知る入門として最適です。

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