あの日から12年の月日がたった
自分はあの日は両親と共にニュースでその事件の第一報を知った。
当時は大学2年生。冬の試験も無事終了し、サークルの冬休みを利用した合宿があと1週間後に近づきつつあり、その準備を進めている中で第二報がSNSメールで届いた。
あの日、ときわ台駅前の踏切で起きた痛ましい事件。その警察官の息子さんからの物だった。
彼と知り合ったのは高校2年。同じクラスで知り合った人物の1年からの友人であった。
そんなこんなで計5名のグループが形成され、高校時代は土曜の午後は一緒に昼食を取ったりとそんな関係だった。
修学旅行先のホテルで温泉に付き合った結果。1時間後長風呂の末に自分がのぼせたなんてことは今でも覚えている。
その中でも一番生真面目でその分世渡りが苦手。そんな彼の性格は父親譲りだったのだろう。
つなげて鉄むす巡りの静岡では旅の4人組の一角として付き合ってくれた。
そんな自分と彼だったが、自分は実は今日までときわ台に降り立ったことは1度もなかった。何度か東武東上線には乗車したが、どうしても都合の良い機会がなかったのだ。
だけど、本日節目の日故に行くことにした。
会社を午後から休み、上福岡のうどん屋條辺で1年ぶりのうどんを食べた後、14時半前にときわ台に到着した。
今日東京は久々に昼間から雨であった。まるで涙雨のように・・・。
近くのスーパーで献花用の花を買い、事件後建立された碑に手向けた。
碑とその周りにはそれ以前に手向けられた花が置かれていた。
しかし、その碑で立ち止まる者は自分以外誰もいない。12年という歳月はいつしかあの事件の記憶を日時を風化させていったのだろうか。
しばらく近くを散策した後、15時前にときわ台を後にした。
あの事件はしばらくの間、世間で大きな注目を浴びた。特に時の総理大臣安倍晋三(仮名)は大きな感銘を受けた故に勲章を授与すると発表したが、結局名前はおろか苗字すら全く覚えておらず、単なる人気取りの行為であったことが露呈してしまい、まとめサイトでも大きな失笑を買った。
そんな彼は今再び総理大臣の地位についているが、あの事件は微塵も覚えていないだろう。今日のニュースもツイッターでもあの事件を振り返る人は全くいない。
だが自分は決して忘れはしない。あの日職務という立場を超え、ただ善意で一人の人間を救おうとした友人の父親の勇気ある行動を・・・。
そして、一鉄道マニアとしても、線路上やホームで何かあったらすぐに非常停止ボタンを押す勇気と行動を。それが誰かを救うことに繋がるのだから・・・。
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